この記事は塾生獲得実践会の森智勝氏のご厚意により、全国学習塾援護会のHPから転載したものです。
2011年5月私塾界掲載分
-我々塾人の為すべき社会貢献-
未曾有の大災害が東北地方を襲いました。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災された皆様に心から御見舞い申し上げます。地震が発生して一週間ほどが過ぎた時点で、この原稿を書いています。どうしても多くの塾人に伝えたいことがあり、3月発行の「速報」と内容が重複しますがご容赦下さい。
左手の役割を担う人になろう
私事で恐縮ですが、自らの不注意から左上腕部を骨折し、ここ1ヶ月ほど不自由な生活を続けています。現在、電車とバスを乗り継いで事務所に通い、右手一本でキーボードを叩いています。不自由な生活ですが、この境遇になって初めて気付くことがあります。1つは世間の優しさです。
多くのお見舞いメール、電話をいただきました。日航のCAさんは、トイレにも付き添ってくれました。スーパーのレジのおばちゃんは商品の袋詰めまでしてくれました。食事会で訪れたレストランでは、上下スポーツ・ウェアという場違いな服装を受け入れてくれただけでなく「そんな大変な時にご来店いただき、ありがとうございます」と声を掛けてくれました。その他、大勢の方に親切にしていただいています。この世の中、捨てたものではないと改めて思います。
もう1つ、気付いたことがあります。最初は「骨折したのが左腕で良かった」と思っていました。いえ、確かに良かったのでしょう。ただ、想像した以上に右手だけでは何も出来ないということを知りました。右手だけだと、半分どころか両手の5分の1程度のことしか出来ないのです。ズボンのファスナーは上げられないし、瓶のキャップも空けられません。利き手ではない左腕が、こんなに重要だったとは気付きませんでした。
で、思ったのです。組織も同じだと。
一人で出来ることには限界があります。これが二人になれば、五倍のことが出来るのではないか。十人、百人が集まれば、どれ程のことが実現できるのでしょう。また、人には様々な種類があります。右手のように、一見華やかで目立つ存在の人もいるでしょう。しかし、組織の中では目立ちませんが、瓶を支える左手のように隠れた貢献をしている人もいるのです。また、そんな人の存在抜きでは、瓶のキャップは空きません。組織全体の成果が上がらないのです。あなたの塾にも、そうした役割を演じているスタッフがきっといることでしょう。
未曾有の大災害を目の当たりにして、何も出来ない無力を感じている方も多いと思います。確かに、右手のような目立つ支援活動は出来なくても、左手のような社会を支える地道な支援は出来ます。キャップを空けることは出来なくても、瓶を支えることは出来るはずです。ぜひ、左手の役割を果たしたいものです。
今、子供たちに訴えるべきこと
今、各界の著名人が被害者支援に立ち上がっています。彼ら影響力のある人たちの活動は重要です。スポーツ選手、芸能人、ジャーナリスト…しかし、行き着く結論は同じです。野球選手は野球で勇気と希望を提供することが本分だということです。歌手は歌で、漫画家は漫画で社会を照らす…それぞれがそれぞれの専門分野で社会貢献することが、苦難を乗り越え社会を前進させる最大の方法です。では、我々塾人の本分とは何でしょう。
私は、教育とは未来を創る仕事だと考えています。良き人材を育てることは、良き未来を創ることに他なりません。
いつの頃からか、日本では自己責任の風潮が定着しています。今回の原発事故に関しても、テレビのコメンテーターが次のような発言をしていました。「国は正確な情報を全て公開すべきだ。それで、国民は採るべき行動を自己判断できる。」このコメントには大きな疑問があります。そんな高度で専門的な分野については、いかに正確なデータを提示されても一般国民には判断が出来ないでしょう。思うに、今の若者は物心付いた時から「自己責任」を教え込まれて育ちました。顕著な例が、勉強をする理由、意義に疑問を持った時です。ほとんどの大人から次の様に聞かされてきたはずです。
「あなたのためよ」「あなたが将来、幸せに生きるためよ」と。すると、どうなるか。「自分が幸せになろうと思わなければ、勉強はしなくていいんだ」と考える子供が増えていきます。そんな子供に「君は幸せになりたいと思わないのか」と問うても、「別に…」という答えが返ってくるだけです。今の若者は「総エリカ様」状態です。多くの若者が自己責任を履き違えているか、都合のいいように解釈しています。そんな若者が社会人になった時、社会貢献の意義を理解するのは難しいでしょう。結果、自らの成果(仕事の対価)だけを考える「タコツボ人間」が繁殖することになるのです。
今の若者たちは「自己重要感」が希薄だと言われています。自分はいてもいなくても変わらない存在なんだと思い込んでいるのです。それは、本人にとっても社会全体にとっても不幸なことです。今こそ、我々塾人は、その責任において声を大にして主張すべきです。「君は、自分だけが幸せに生きるために勉強しているのではない。百万人を幸せにするために勉強するのだ。今の1万人を救えなくても、未来の1万人を救える人になろう」と。
それは、安全な原発を作る技術者かもしれません。有事において適確な判断を下せる組織のリーダーかもしれません。あるいは、多くのボランティアを差配するコーディネータも必要でしょう。そうした社会にとって必要な人材を輩出することが、我々教育界に生きる者の最大の使命です。
本誌がお手元に届く頃には、被害の全貌と経過が明らかになり、復興への「道しるべ」も提示されていることでしょう。同時に、被災地に対する関心も薄れてくる頃です。ぜひ、改めて今回の災害を総括し、生徒達が自分の生きる道を模索する機会を作ってあげて下さい。そうした行為が、今回の災害で犠牲になった方々の魂を浄化することになると信じて…。(合掌)
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