この記事は塾生獲得実践会の森智勝氏のご厚意により、全国学習塾援護会のHPから転載したものです。
桜・三月・散歩道…いよいよ新年度が始まります。今年度の合格実績も次々と明らかになり、春期の募集状況と合わせて、悲喜こもごもの毎日をお過ごしのことでしょう。
また、各塾では新しい社員を迎える時期でもあります。希望を胸に塾業界に飛び込んできた若者が、その理想と情熱を失うことなく、一生の仕事として従事されることを心から希望します。
マスコミ等では、「就職できない大学4年生」の特集が目立ちます。特に、リーマン・ショック後の就職難は深刻です。以前は塾業界に就職を希望する若者はごく一部に限られ、だからこそ教育に情熱を持った人材が集まってきました。現在のように、「とにかくどこかに就職を決めたい」という心理が学生の間に蔓延すると、確かに業界にとっては優秀な学生を採用するチャンスは大きくなる一方、「学歴は高いが、特に教育に情熱を持っているわけではない者」が増えて来ます。素材としては優秀な学生が採用しやすくなっていますが、入社後に燃え尽き症候群に陥りやすいという傾向が強くなります。「就職すること」が目的化されてしまうのです。すると、(これはどの業界でも同じですが)塾業界の厳しい労働環境に馴染めず、結局、早期に退職してしまう若者を増やす結果を招きます。
以前もお話したことがありますが、今の若者は生まれた時から「自己責任」をすり込まれて育っています。「なぜ、勉強しなければならないの?」という素朴な疑問に、両親をはじめ周りの大人たちは口を揃えて「あなたのためよ」と答えます。あなたのため、あなたの将来のため、あなたが将来、幸せに生きるため…勉強の目的すら自己に帰結して語られます。すると子どもは、「自分が幸せになりたいと思わなければ勉強しなくてもいいんだ」と考えます。彼らは大人になると「自分が了解しているのだから、仕事をしなくてもいいでしょ。自己責任なのだから…」と考えます。それがニート・フリーターが爆発的に増えた根源です。
企業内にも自己責任は導入されました。成果報酬という名の下に。すると、自分の成果につながらない仕事・業務には誰もが積極的に取り組もうとしなくなってしまいます。それぞれが、それぞれの枠の中に閉じこもり、いわゆる「タコツボ化現象」を多くの企業が招いています。結果、その隙間にこぼれていく業務が多くなり、業績を上げる目的で導入した成果報酬制度によって業績を著しく下げるという皮肉な結果を招いています。
例えば、次のようなケースです。ひとり残業をして、社内に残っていた社員が帰ろうとした時、取引先から電話が掛かってきます。納入した機械が故障してラインが止まってしまったというクレームです。以前ならば、自分が担当でなくても何はともあれ相手先に駆けつけ、謝罪し、見よう見真似で機械を調整しようとしたものです。ところが現在は、「では、担当の者に連絡します」と言ってメモ用紙にクレーム内容を書いて担当者のデスクに貼り付けて帰ってしまいます。(実際は社内メールか?)なぜなら、「それは私の仕事ではないから」です。どちらが取引先の納得を得られるかは言うまでもありません。
塾の現場でも、廊下に放置されている段ボールを誰も片付けようとしません。「それは、私の仕事ではありません」と思っているからです。経営者が春期講習の受講を勧める声掛けを指示しても、それは私の仕事ではありません…。こうした組織では全体の業績が上がらないのも当然です。
もともと究極のアナログ産業である塾業界は、「人が全て」と言っても過言ではありません。いくらデジタル機器の性能が向上しようとも、その基本は変わりません。チーム(組織)として一人の生徒の学力向上に取り組み、将来に責任を持つ意識が絶対に必要です。もし、塾人が皆タコツボ化してしまうと、塾の業績が上がらないばかりか通っている生徒が不幸です。
今春、あなたの塾にやってくる新入社員に対して真っ先にやらなければならないことは、塾(あなた)の理念を伝え、塾の仕事に対する意義を「腑に落ちるまで」徹底して理解させることです。
幸せになるということは目的ではなく、人として生まれた者が等しく持つ権利です。ただ、権利を主張するためには義務を果たさなければなりません。それが「人のために生きる」ということです。団塊の世代と呼ばれた先輩達は「会社人間」と呼ばれ、諸外国からはエコノミック・アニマルと揶揄されました。しかし何と卑下されようとも、自分以外の人のために働いていたことは事実です。それが社会全体として圧倒的なエネルギー(パワー)となって、日本を世界有数の先進国に導いたことを私は疑いません。
一つの企業の中でも同じです。「お客様(塾生)のため」「先輩のため」「同僚のため」…自分以外の誰かのために行動する風土・文化を持つ企業は強い。なぜなら、人は「自分のため」よりも「誰かのため」に行動する方がモチベーションを高くする生き物だからです。経営者・上司の究極の役割は、部下のモチベーション(労働意欲)を高めることです。
目の前の業務をメンバーに割り振り、効率よく処理できるように指示するのはマネージャーの仕事、部下が自ら仕事に取り組むようにすることがリーダーの仕事と言われています。経営者・上司は、両方の役割をこなさなければなりません。
ところが、多くの企業でリーダーになりきれていない上司がいます。部下のモチベーションを下げることを無意識のうちに行っています。「こんな企画しか思いつかないのか」「君の意見は聞いていない」「君の代わりはいくらでもいる」「せめて給料分は働いてくれよ」…
部下のモチベーションを上げる方法はいくつもありますが、基本は「仕事を与えること」です。時給800円のパートのおばちゃんでも(つまり誰でも)できることが作業であり、「あなたにしかできないこと」が仕事です。人は、作業ばかりを与えられるとモチベーションを著しく落とします。
「入試資料を人数分プリント・アウトして、ホッチキスで停めておいてくれ」が作業を与えることであり、「今年の入試結果を分析して、分かりやすい資料を作ってくれ」が仕事を与えることです。
司馬遼太郎の小説の中に、こんな場面があります。
秀吉がある武将に対して信長に味方するよう説得する時に、「信長殿は部下を愛していらっしゃいます」と伝えます。すると相手が「何が愛しているだ。信長ほど部下をこき使う大将はいないではないか」と応じると、秀吉は次のように反論します。
「これは異なことを。男が男を愛でるというのは寵愛することではなく、仕事を与えることではありませぬか」
確かに、新人に仕事を任せるのは心配です。しかし、作業ばかりを与えてモチベーションを下げてしまうのは絶対に避けるべきことです。せっかくの人材を、「人財」どころか「人罪」にしてしまうだけです。
この春、あなたの塾の門をくぐった若者たちが挫折することなく、そこに「生き甲斐」を見つけることを心から祈っています。
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