この記事は塾生獲得実践会の森智勝氏のご厚意により、全国学習塾援護会のHPから転載したものです。
2011年11月私塾界掲載分
-「徳力」の向上が地域の支持を得る-
この「中小塾のマーケティング講座」も今回で百回を迎えました。当初は三回シリーズの予定で掲載を始めたのですが、気付けば8年以上が経ったことになります。私塾界スタッフの皆さん、読者の皆さんに心より感謝申し上げます。そして何より、当時全くの無名だった私の文章を掲載する英断を下し、その後も業界の先達として導いてくださった、「私塾界」前代表の故山田氏に感謝と哀悼の誠を奉げます。 今後も業界の発展と、そこに携わる全ての人に役立つ情報提供を続けてまいります。
徳力を失った者は支持を失う
さて、読者の皆さんには少し古い話題になりますが、発足したばかりの野田内閣から早々の辞任大臣が出てしまいました。鉢呂経済産業省大臣が、その言動の責を問われ、辞任に追い込まれたのです。その原因となった言動は次の二つです。
一つは、就任早々に実施した福島原発の視察を終えた公式の記者会見で、原発周辺地域を「人っ子一人いない、まさに死の町」と表現したことです。早期帰宅を期待する住民の感情を逆撫でする発言でした。もう一つは、非公式の囲み取材の席で防災服を一人の記者に擦り付け、「放射能をうつしてやったぞ」と発言したことです。実に子供っぽい幼稚な言動です。
ただ、この二つの言動は本当に辞任に値するほどの過失かと問えば、そうは思えません。本来、政治家の進退は、その政治内容によって生じるべきです。明らかに重大な政策失態がありながら、のうのうと重責に就き続ける政治家がいる一方、小さな失言で辞任(罷免)に追い込まれる政治家が多く存在するのが日本の特徴です。アメリカでは大統領が女性スキャンダルを大々的に報じられ、本人が「不適切な関係」を認めながらも、辞任せずに任期を全うしました。「倫理的責任と政治的責任は別」という考え方があるからです。
ところが、「徳」を重んじる日本ではそうではありません。政治的能力よりも徳力が優先されるのです。私は、だから鉢呂氏の辞任が間違っていると言いたいのではありません。日本では徳を失った者は絶対に支持されないという事実を指摘したいのです。
これはビジネスの世界でも同じです。私が感情の論理を訴えるのは、相手の感情に配慮しない人物は徳が低いと評価され、どれだけ能力が高くても支持されない現実があるからです。
ニーズで成り立つビジネスは、本来、その能力で選択されるべきです。
例えば歯科医院を選ぶ時を考えて下さい。本来、誰もが歯科医院に行くことを望まないはずです。行かなくて済むなら行きたくない。しかし、歯の痛みに耐えかねて仕方なく歯科医院を訪れます。それならば、最も腕のいい医者を選んで行きそうなものですが、実際は違います。
「あそこの医者は優しい」「あそこの医者は子供が泣くと不機嫌になる」…そんな治療技術とは無縁の要素で選ばれているのが普通です。
もちろん、我々素人はプロの技量を判断できないという理由が大きいのですが、「人柄(徳力)」に大きく左右されるという一面を物語っています。
塾も歯医者と同じくニーズで成り立つビジネスです。
腕がいい…学習指導技術が優れているというのは必要条件ですが、それだけで十分条件にはなりません。私が「よい授業をしていれば、自然と評判が広がり塾生が集まってくると考えるのは間違いだ」と主張する理由もココにあります。
生徒を「叱る」「褒める」に徳力は表れる
宿題を忘れてきた塾生に対する叱り方1つをとっても、十分な配慮ができているか。スタッフに叱り方の研修をしているか。それが問われています。
大手塾は例外なく「叱り方の研修」を施しているものです。声の大きさ、間の取り方、クロージングの仕方…「叱る」というのもコミュニケーションの一つです。その時の対応如何(いかん)で教師の徳が試されます。
ところが、多くの中小塾がこの重要さに気付いていません。感情に任せて叱りますので、時として生徒の人格まで貶める結果を招いてしまいます。そこには「恨み」しか残りません。「叱る」という行為は言うまでもないことですが、教師の自己満足のためにあるのではなく、生徒自身をプラスの方向に変えるためにあります。当然、その目的に適う「叱り方」があるはずです。
褒め方についても同様です。
日本人は民族性なのか褒め方が下手だと言われています。欧米人のように表現豊かに相手を褒めることに、どうも照れを感じてしまいます。これも、最も効果的な褒め方を研究して研修をすべき重要な要素です。
人は、褒められたり叱られたりする時に相手の徳を感じ、評価をします。重要なことは、褒めるにしても叱るにしても、相手に「心底、自分のことを思ってくれている」と感じさせることです。
私が最も危惧しているのは、近年は上手い・下手の前に、他人の善行に対しても悪行に対しても、どこか冷めた風潮が漂っていることです。
塾の現場でも、遅刻や宿題忘れに対して妙に寛容な指導者が増えています。また、生徒の成長に対して一緒に喜べない指導者が増えています。
自己責任症候群が蔓延しているのが原因です。歪んだ自己責任思想は、他者に対する無関心を助長します。スマップには申し訳ないのですが、「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」の意味を、多くの人が自分に都合よく解釈しています。「もともと特別なオンリーワンだから努力する必要がない」と思っています。
指導者側も個性重視の美名の下、厳しい指導を避ける傾向があります。本来、オリジナリティとはナンバーワンを目指す熾烈な競争の中で生まれ、育まれるものです。怠惰の中から生まれるオンリーワンなど存在しません。
我々教育界の一端に存在する者は、そうした風潮に対峙し、情熱を持って地域に訴え、愛情を持って生徒と接する必要があります。そして、そうした不断の行為の中で徳力は向上します。
徳力というのは目に見えません。それを計るのは相手の感情です。
「叱り方ひとつでも、ココまで考えて配慮してくれているんだ」と生徒に、保護者に伝わった時、あなたの徳力は向上します。鉢呂経産大臣の辞任を他山の石と受け止め、自らが発する言葉の意味を考えて下さい。政治家の言葉は重いと言われますが、我々指導者の言葉も、やはり重いものです。
中小塾が地域で支持を受け、発展を遂げるには、単なる指導技術だけを提供するのではなく、徳力を向上させ、それを地域に認めさせることが重要です。
必要なのは、情熱+技術です。あなたの塾の叱り方・褒め方は、日々進歩していますか?
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