モリモリ元気レポート[66] -つむぎクラブ掲載文より

この記事は塾生獲得実践会の森智勝氏のご厚意により、全国学習塾援護会のHPから転載したものです。
先日、興味深い話をテレビで知りました。今、大人たちから評判の悪い「ら抜き言葉」についてです。
「ら抜き言葉」とは、本来「食べられる」と言うべきところを「食べれる」と表現することですが、年配の方からは「気持ちが悪い」「日本語が乱れる」と非難されています。でも、若者の間では一般的に使われていますよね。
「ら抜き言葉」は一般的に上一段活用と下一段活用の動詞について使われます。意味は「可能」です。同じ「食べる」でも、尊敬を表す時は誰もが「食べられる」と表現します。
一方、五段活用する動詞、例えば「話す」に「可能」の意味を加えると、「話せる」となります。教科書では可能動詞として習います。尊敬を表す時は、やっぱり「話される」となります。
さて、これらの動詞をローマ字表記すると不思議なことが起こります。
食べられる
TABERARERU
食べれる
TABERERU
話される
HANASARERU
話せる
HANASERU
気付きませんか?
では、左のつづりから、右のつづりで使っているアルファベットの文字を消してみて下さい。
食べられる
TABER-AR-ERU
食べれる
TABERERU
話される
HANAS-AR-ERU
話せる
HANASERU
どちらも、ARの二文字が省略されていることが分かります。つまり、これらは同じ法則で変化しているのです。同じ法則なのに、一方は正式な日本語として認められ、他方は日本語の乱れと非難される…不思議ですよね。
つまり、「話す」という動詞(五段活用)の「ら抜き」がいち早く始まり、世の中に定着し、今、遅れて「食べる」の「ら抜き」という変化が始まったと言えるのです。テレビに登場した言語学者は、これは乱れでも何でもなく、合理的な言葉の進化だと言うのです。目からウロコでした。
言葉は「生き物」です。常に変化(進化)をしています。「ら抜き言葉」も、その変化の一つに過ぎないということを知りました。これだから学問は楽しい。
以上は、中学生向けになっていますが、「上一段」や「可能動詞」の語句を省けば、充分、小学生でも理解できますし、目からウロコ状態になります。こうして「国語の面白さ・不思議さ」を体感させたあと本題に入れば、きっと、生徒達は国語に対する関心を引き摺って授業に入っていくことでしょう。
テレビで見た話なので、もしかしたら知っている方もいると思います。(それとも、私か浅学で知らなかっただけでしょうか?)
私が現役の国語教師ならば、いの一番に授業で披露します。「食べられる⇒食べれる」も「話される⇒話せる」も構造上は「ローマ字で表記した場合の『AR』が省略されているだけ」という発見は、言語の不思議さを実感する実に素晴らしい事例です。きっと、学校の先生は、こんな説明はしていないと思います。
塾の教師は、その「学問の付加価値」が必要です。学校の先生とは違う部分です。
確かに、塾の使命は「学校の成績を向上させ、志望校に合格させること」にあります。その意味では、こうした「ネタ」は必要ないかもしれません。しかし、同時に学問の奥深さを教え、学問に興味を持ってもらうことは、教育者としての使命だと考えます。もし、学校の教師がその任を放棄しているならば、それを塾が担う必要がある。また、そうしたことで、「塾の先生は凄い!」という評判を作ることが出来るならば、それはビジネス上も有効なはずです。
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